金. 4月 3rd, 2026
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「心は女なのになぜ女湯に入ってはいけないのか」逮捕された女装男性(43)は今年4月にも浜松市内の女湯に入り逮捕の過去…地元ではドスのきいた大声で近隣トラブルも…〈桑名・女湯侵入事件〉

 こちらの記事であるが、やはりというべきか……誰もが予想していたことが起こった。

 個人的にはLGBTについて差別の意思はない。これは私が聖人君子というわけでも何でも無く、多くの人達にとってそうであろう。というよりも『興味がない』といったほうがより正確なのかも知れない。

 多くの人にとって、他人の性的嗜好や性自認などさほど興味が無いのではないだろうか?

 日本という国は仕事の場ではそれに相応しい装いや振る舞いは求められるのは確かではあるが、私生活では基本どのような装い、振る舞いは問われることはないからだ(もちろん犯罪行為は別)。

 そんな日本では基本的にLGBTに対して『あ、そう』という感じが強いような気がする。

 だが、それで良いのではないだろうか?

 差別というのは『非合理的な理由で扱いに差を設けることである』である。なら私生活に対して差を設けないという無関心というのはLGBTの当事者にとっては実は都合が良いのではないか?

 当然、配慮して欲しいという気持ちはLGBT当事者にあることだろう。だが、その配慮が特権になっては間違いなく問題だろう。
 自分が『胸を張って生きたい』のか『他人を威圧して生きたい』のかは全く別の生き方である。差別されないというのは当然すぎる要望であり、社会はそれを拒む必要はある。しかし、他人に配慮を求めるというのは間違いなく間違っていると思う。

 長くなったのだが、この男性(性自認は女性)が女性風呂に入って逮捕されたというのは、私の中では『他人を威圧して生きたい』という思考であり、当然受け入れる事はできない。

 『性自認が女性なのだから女性風呂に入るのはおかしくない』という主張が存在するのは理解する。だが、それを周囲(特にこの場合は女性)が理解を示すかは別問題であり、受け入れるかどうかは差別という問題ではない。正当な権利というものだ。

 この逮捕されたLGBTの男性はこの当たり前の事を理解していないのではないか? 自分に譲れないもの、嫌だという感情があるように、他者にもそれがあることをどうして理解しないのか?

 LGBTに対する配慮というのは『差別を受けない』というものであり、決して特権を得たものではないのである。
 この似て非なる事実を把握して、何を主張するかどうかを考えるべきだろう。

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By 福川 要

 2021年6月に宮崎県の片隅でひっそりと行政書士事務所を開業中。  主な業務は、許認可関連、遺言状作成です。

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