
盆前に姉夫婦のもとへ母を連れて行くことになっている。姉夫婦には子どもが二人おり、そのうちの一人が今年大学受験に挑むことになっているのである。
私は現在、行政書士もやっているのだが、高校で公民科の非常勤講師もやっている(正確には会計年度職員であるがわかりやすく非常勤講師で表記)。
そこで姉が私に勉強を見てくれないかという依頼があった。私としてはかわいい姪っ子のためになるのならと二つ返事で受けたのだが、その見て欲しい教科が『国語』であった。
なぜ公民科の非常勤講師に国語の勉強を見てくれ?となった人がいるのだろう。実は私は国語が得意なのである。どういうことかというと、姉夫婦のもう一人の甥っ子に国語の解き方を教えたら、それをきっかけにして国語の成績が一気に伸びたという話である。その実績を買われたわけだ。
私が受験生時代にセンター試験で国語は200点中180点台だった。そうはいっても私がそこまで成績を伸ばすことが出来たのはたった一つの事に気づかされたからである。
ここで記すのは姪っ子に教えるためのいわば原稿のようなものである。だから別に受験生以外の人には何の意味も無いので、興味の無い人はここでブラウザバックした方がいいだろう。
それでは、読み進める人は国語の成績を上げるために何に気づかなければならないかをお伝えしていこう。
【国語の試験は受験生の考えを聞いているわけではない】
はい。これです。
国語が出来る人はこのことを当然のごとく理解している。だが、国語が出来ない人は間違いなくこれに気づいていないのである。
よくテレビなどで『国語の問題でこの時の作者の気持ち答えろとかあるけど、わかるわけないだろ』とかいっている意見を見聞きするのだが、そもそも作者の気持ちを答えるような問題は存在しない!!のである。
もう一度言います。そんな問題は存在しません!!
なぜならば、そんな不確かなものを問題にするわけがない。
テスト作成者の気持ちになってみればこれは当然である。どういうことかといえばテスト作成者にとって一番嫌な事は、クレームである。そのクレームに対してきちんと答える事が出来なければ非難囂々だ。そんな辛い状況なんか誰でも嫌に決まっている。
だからこそ、クレームの回答にきちんとした『根拠』を設定するに決まっているではないか。ではその根拠はどこにあるのか?
答えは『本文中』である。
そう。国語のテストには必ず本文中に根拠があるのである。この事を意識しなければ国語の成績が伸びない。別の表現をすれば、国語のテストとは『本文中に答えが書いてあるからそれを探して書く』というものなのだ。
では、これを意識していない人はどうなるのか?
そういう人は根拠を本文中ではなく、『自分の中』に求める。いわば自分の考えを答えとして書くのである。だから間違えるのである。
共通テストは国が『独立行政法人大学入試センター』へ委託して問題を作成している。いわば公的な行為なのである。そんな公的な行為において、受験生の考えを聞く問題が出題されるはずがない。もし、そんな問題を出題してしまえばそれを○×する事は決して出来ない。受験生の考えを否定するという事は精神の自由の侵害以外のなにものでもない。いわば憲法違反なのだ。だから受験生の考えを問うような問題を出すわけない。そんな危ない橋を渡るはずはないのだ。
さて、ここまで読んでくれた方は国語は受験生の考えを聞くような危険な事は絶対に行わない事を理解してくれたと思う。
国語のテストは自分の意見を聞いているわけではないということをまず意識しないと始まらないのである。
この意識を持って、本文中『だけ』にに根拠を求めるのだ。
後は問題を解き、解説を読んで練習するのだ。
早ければ一ヶ月ほどで効果が現れることだろう。私の場合は三ヶ月で180点台が当たり前にとれるようになった。
嘘だと思うのならやらなくてよいと思う。自分の中に根拠を求めて的外れな答えを記入して玉砕するのも、安定しない状況に陥ってギャンブルのような受験を行うのも本人の自由というものだ。
ただ、私のこのアドバイスを素直に受け入れる人は三ヶ月でびっくりするくらい。国語の点数が上がり、安定することだろう。
さて、受験生のみなさんは頑張ってほしいと思う。私は姪っ子にこの記事を参考に国語の成績を上げるように伝えて、実際に過去問を解かせながら具体的に指導していきたいと思う。