
さて、共有物とか共有という言葉をみなさんは聞いたことがあると思う。
共有とは「一つの物に複数人の権利者がいる」と私は法的には解釈している。だが、民法の物権には「一物一権主義」という原則があり、基本的に一つの物には一つの権利という原則が存在する。
すると共有というのを国はあまり好ましく思っていないのではないかということが言えるのである。
というわけで今回は「共有」という考え方についてちょっと考えてみることにした。
私は宅建士の勉強を始めたことにより、民法(宅建士では権利関係のジャンル)を勉強し直している。
行政書士を取得するために民法は散々やったのだが、やはり民法の勉強がおざなりになっていたためにかなり忘れているから、再び勉強を始めたら中々面白い\。やはり民法というのは勉強すればするほど面白いことを再確認しているところだ。
おっと……話が逸れてしまった。共有の具体例を挙げていこう。
Aが高級車をどうしても欲しくなったとする。しかし、高級車の価格を見て自分一人では購入は不可能と判断したAは友人のBとCに「車を三人で買わないか?」と持ちかけたら、BとCはそれに乗ってきた。
そこで1000万の高級車を購入した。Aは400万、BとCは300万ずつ出した。
さて、この事例……どうだろうか?
後々、揉める匂いがぷんぷんしないだろうか?
私には揉める予感しかしない。
なぜならこういう車のような物を共有すると絶対に車を同じタイミングで使用したい時にどちらかが折れなければならないし、折れた方ははっきり言って不満だろう。
そして不満が少しずつ溜まっていき、爆発する。もしくは自動車をいつでも自分で使えないことに対して「なんか不便だな」となって共有をやめようと考えるかもしれない。
このように共有というのは非常に不安定かつ将来の揉め事の可能性を過分に含んでいるので国とすればあまり好ましい状況ではないのである。
特に、民法256条の分割請求の条文にはその国の本音が見える。
【民法256条】
各共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができる。ただし、五年を超えない期間内は分割をしない旨を契約することを妨げない
2 前項ただし書の契約は、更新することができる。ただし、その期間は、更新の時から五年を超えることができない
とある。
分割は共有の分割とは、例えば一つの土地に複数の所有者がいる場合に、土地を分筆して単独の土地とするとか先の例であれば、自分の持分を他の共有者に売却するというようなものだ。
この共有物分割により共有が解消されやすいので、所有権が安定することになるので、民法では『いつでも』できると規定しているのだ。
しかも、特約を定めてはいるが、それでも分割を否定する特約で『五年を超えない期間内』という条文から維持でも永続させるものかという確固たる意志を感じる。
2項でも「更新はできますよ……でも」というように国としては共有を好ましく思っていないという状況がありありと見て取れるというものである。
法律というのは無味乾燥で血が通っていないという印象を持っている人が結構いるが、そうではない。制定者が揉め事を嫌っているのがありありとわかる条文がたくさんあるのだ。そういう制定者の気持ちを読み取っていくというのも法律勉強の一つの醍醐味であると私は思っている。