
先日、『ゴールデンカムイ』という作品が実写映画化されるのではという話が出てきたことで、ある俳優が『アイヌ人をルーツにもつ役者がアシリパ(アイヌ人の少女)をやらないのはおかしい』という主張をTwitterで行った。
個人的にはどのような主張するのも構わない。それは日本には表現の自由が保障されているからであるからだ。
だから私はこの主張した俳優さんの意見を封じ込めようなどとは思わない。だが、超絶違和感があるのでそこに対しては意見を述べたいと思う。
タイトルにあるように俳優の主張は『差別的』であり、『役者に対して失礼』のように感じた。
どうしてそう思ったのかを説明していこうと思う。
【差別的だと思った理由】
さて、まず私が差別的であると感じたのは、『アイヌ人の役はアイヌ人をルーツに持つ役者がやるべきだ』という意見だ。
これは逆に言えば『アイヌ人はアイヌ人以外の役をすることは許されない』という主張へと発展する可能性がある。
もちろん、この俳優さんはそんなことを考えている訳ではないだろうからこのような表現をすれば「そんな極端な主張をするな」という反発がきそうだ。
だが、『アイヌ人の役はアイヌ人をルーツに持つ役者がやるべき』という主張の延長線上に『アイヌ人はアイヌ人以外の役をすることは許されない』という主張があるのは誰しもわかることだろうし、この主張を明らかに間違っていると論理的に説明できる人は果たしているのだろうか?
そして、この論法は「国王の役は現国王しかやってはいけない」「貴族の役は貴族しかやってはいけない」という身分にまで応用出来ることになるのではないか?
そのため、『アイヌ人の役はアイヌ人のルーツを持つ役者がやるべき』という主張は差別的表現とも言えるのである。
【役者に対して失礼】
次にこれであるが、私の考える役者というのは、自分の容姿と演技力で勝負する存在であると私は考えている。実際に役者というのは芸能事務所に所属していても、個人事業主であるという立ち位置であろう。
その証拠に売れない役者はとても役者としての給料だけでは生活できないということでアルバイトなどをして生計の足しにしている。もし、給与体系がサラリーマン的というのであれば、毎月決まった額の給与が振り込まれるのでアルバイトなどする必要はないはずだ。
いわば役者というのは個人事業主であり、自分の才覚で自分の今日の飯を掴まなければならないのである。
そのために役者はオーディションを受けてその役を掴み取るのである。
そんな這い上がるためにあらゆる辛酸を舐めて、自らの才覚で手に入れた役に対し、『あなたがこの役を得ることができたのはあなたのルーツが理由だ』などという事を言われたらどうだろうか?
ものすごい失礼な主張とは言えないか?
私だったら怒り狂うと思う。
数少ないチャンスを掴むためにライバルたちと競って掴んだ役で「あなたの実力ではない」と言えば怒り狂うのは当然である。
今回の俳優さんの主張を私は拡大解釈をしているのかもしれない。だが、そう考えることも論理的には可能だということは一面の真実であるだろう。
正直な話、ポリコレとか役者のルーツとかは作品を作るのに全く関係ない。最近の映画やドラマの制作者は勝負するべき相手を完全に見誤っていると思う。
製作者が勝負するのは『観客』だ。観客との真剣処分に全精力を注ぎ込まなければならないのに、ポリコレに配慮する必要があると勘違いして全精力を注ぎ込まなくなっている。
だから観客も白けてしまい人気が落ちるということが多々あるのである。
今回の俳優さんの発言はある意味製作者側の足枷を見せつけられた気がした。
ポリコレに配慮する作品があってもいい。そういうコンセプトで作品を作ればいいのだ。だが、エンタメ作品にそんなものは関係ない。エンタメを見にきた観客はポリコレに配慮した作品を見たいのではない。自分達を楽しませてくれるような作品を見にきているのである。