土. 4月 4th, 2026

 さて、今回は報道は公平ではないということについて語ろうと思う。

 記者や編集者の思想、主観を抜きにしても報道というのは根本的に公平・公正に行うことなど絶対に出来ないものなのだ。

 どうしてそういう結論に至ったのかを語っていきたいと思う。

【理由】物理的な制約
 さて、もうこれがすべてである。

 テレビ、新聞、週刊誌などありとあらゆる報道媒体には物理的な制約が存在する。

 例えばテレビのインタビューが一時間行われたとする。公平、公正な報道というのならばこの一時間のインタビューを丸々使わなければならないだろう。だが、一時間も丸々インタビューを流すと言うことなど『出来るはずもない』。

 そうなると一分の使用のためには他の59分の部分を編集でカットしなければならない。そのカットされた部分の情報の方が重要な人もいるのは当然のことである。

 同じ報道を見ても、Aさんには非常に有意義であったとしてもBさんにはカットした59分の方に有意義な情報が含まれていたとすればこれだけで公平公正な報道にはならないのである。

 そうどうあっても公平公正な報道など不可能なのだ。

【メディアは公平公正を謳うのを止めた方が良い】
 公平公正で報道できないというのは、物理的な制約がある以上『絶対』に不可能であると私が考える理由は先程述べたとおりだ。

 公平公正が出来ないというのはもはや仕方がないとした方が報道機関としては公正な報道が出来るとは言えないか?

 どういうことかと言えば左派的、右派的な報道機関が実際にあることは事実だ。これは報道機関も人の集まりである以上、当然ながら生じる社風というものであり、そこに優劣はない。

 だが、公平公正を謳う……いや、謳わなければ『ならない』立場である報道機関はそれが出来ないのである。

 実は放送法でこのように定められているのだ。

(国内放送等の放送番組の編集等)

第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 公安及び善良な風俗を害しないこと。

 政治的に公平であること。

 報道は事実をまげないですること。

 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


 この放送法があるからこそ、報道機関は政治的に無理に中立を装わなければならないのだ。特に様々な立場、状況によって政治的に中立であるというのはまず不可能だ。だが、放送法で定められているために政治的に中立である事を装わなければならないというのは大きな問題ではないか?

 前述した通り、報道に公平公正を行うというのは元々不可能である。

 いっその事、『我が社はこういう立場でやっています』と宣言した方が受け取る側も『この報道機関は左派的な立場で報道しているんだ』『ここは右派か』と前提が生じるためにわかりやすくなるような気がする。

 中立と謳っている以上、これは中立な意見であるとして情報を受け取るのではなく、受け取る側が報道機関の政治的な立場を明らかにすることで一歩引いた立場で情報を受け取ることが出来るような気がする。

 もちろん、特定の報道機関の報道しか見ないということで国民の側も偏った政治的思想になるという懸念や意見が出てくるだろう。

 だが、心配ない。

 現段階で政治的中立を各報道機関が物理的な条件により行えない以上、特定の報道機関しか見ないことで政治的に偏るというのは既に起こっているのだ。

 意思ある人間が運用している以上、報道機関が公平公正を謳わなければならないという矛盾が絶対に生じる。それならば、立場を明らかにして受け取り側に注意喚起を行う方が遙かに親切であると私は考えている。

 放送法の見直しを私としては求めている。

 



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By 福川 要

 2021年6月に宮崎県の片隅でひっそりと行政書士事務所を開業中。  主な業務は、許認可関連、遺言状作成です。

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