木. 4月 9th, 2026

 みなさんは『悪魔の証明』という言葉をご存じだろうか?

 『悪魔の証明』というのは『「ない」ということを証明する論法』のことで、証明の困難さを示した言葉だと言えます。

 「ある」という証明は比較的簡単ですが、「ない」いう証明は事実上不可能なのです。

 たとえば『私は昨夜カレーを食べた』というのは簡単に証明できます。食べる姿を写真に撮っておけば簡単にカレーを食べたことを証明できるし、店で食べたのならばレシートを獲っておけば良い。もしくは店員さんに証言してもらえればそれで大丈夫というように少し考えただけで食べたという証明はいくらでも思いつくことが出来ます。

 しかし、「食べていない」という証明は本当に難しい。

 例えば家族が証言してくれたとしても、四六時中一瞬たりとも目を離さなかったというような事は現実的にあり得ないですし、一瞬でも目を離せばその瞬間にカレーを食べた可能性が生じますのでまた別の証明を行わなければなりません。

 そう『やってない』という証明は事実上不可能であるのだ。

 そのため、裁判の基本として、訴えた方が証明責任を負うのである。

 刑事裁判では警察が容疑者を検挙し捜査を行って、検察が捜査によって得た証拠を精査し、起訴をするわけである。
 この場合、訴える側なのは検察である。ということは容疑者に対して『やった』と証明する義務を負うのは検察なのだ。
 容疑者(裁判に起訴されれば被告)は検察の主張に反論することに全力を注げば良いのである。

 これは民事裁判でもそうで、訴えた側(原告)が自分の主張を証明する義務に生じる。

 ここから裁判は悪魔の証明を求める事は認めていないと言えるわけである。

 私はもちろん弁護士でもないし、裁判に関わったことはない。行政書士の試験で、刑事訴訟法、民事訴訟法は試験科目にないためにみなさんと基本的な知識ではそう大差はないだろう。

 そんな私でも悪魔の証明を求めるのはまったく無意味なものである。だってそもそも裁判において認められないからである。

 しかし、世の中にはこの基本原則を理解していない。もしくは知っていても無視する人が結構な数で存在するのだ。

 こまった事に国会議員のなかにも悪魔の証明を求める人が結構いるのだ。

 これはある意味、馬鹿な国民なら悪魔の証明の主張を求めても支持を得られるだろうという、国民を馬鹿にしてるというのが私の意見だ(もし、知らずにやっているのならそれはそれで能力的に問題である)。

 『やってないことを証明しろ!!』という主張をする者にまともに相手をしてやる義理などない。

 『悪魔の照明は認められない。その程度の事もしらんような不勉強な奴とは話をする価値はない』と切り捨てても構わない。

 悪魔の証明を求める相手の言い分ははっきり言って聞く価値はない。そのことを多くの人達は認識して欲しい。

Follow me!

By 福川 要

 2021年6月に宮崎県の片隅でひっそりと行政書士事務所を開業中。  主な業務は、許認可関連、遺言状作成です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP