火. 4月 7th, 2026

Twitterを見てると、若者の格差の是正のために「履歴書」に学歴でなく「経験」を書くようにすれば格差の是正となると主張する女性がいた。

その思想自体は別に構わない。なぜなら日本には表現の自由が保障されているからだ。

だが、私はその意見には「はぁ?」と反論させてもらいたい。矛盾するのではないか?と思うかも知れないが、それは私の表現の自由の範疇であり、何も問題は無い。彼女の発言が気にくわないと言うことで彼女の人格を攻撃すればそれは問題だ。だが、反論というのは普通に許される。

話が逸れた。

そもそも履歴書に格差を設けることが何が問題なのか?

普通に考えて、履歴書というのは『格差』を設けなければならないものだ。格差を見せないと採用担当者としても困るとは思えないか?

もし、格差を設けなければ、名前くらいしか他の志願者との差が見つからないだろう。

と言うわけで私としては履歴書には格差を設けるべきと言うのが私の意見である。

さて、格差を設けるのは大前提でとして話を進めていきたい。問題はどのような格差を設けるべきかということであるが、この女性は「経験を書け」と言っているが、ちょっと考えて欲しいのだが、大学生や高校生の経験なんてぶっちゃけたところそれほど差があるか?

例えば高校生での経験といえば……
学校でのこと以外に書くことはほとんどないだろう。
そりゃあ部活を一生懸命がんばった結果、全国大会に出場し、全国優勝しましたとかであればものすごくインパクトはあるし、格差が生じることだろう。だが、そんな経験をしている人はほとんどいない。
学校以外での経験を求めるのなら、それはものすごく「お金」がモノを言うのは間違いない。

日本は良きにせよ悪きにせよ誰しも体験できることというのは、画一化されているのだ。もし、その画一化されたものを避けたければお金を出して経験を「買う」しかないのである。

さて、そうなると裕福な家庭では金で買った経験で有利な履歴書を作成することができる。

個人的にはそれはそれで構わないと思う。自分の強みを活かして自分の有利な状況を作り上げるのは普通にやるべきことだからだ。

だが、それは裕福な家庭でなければ出来ないというのならば、そうでない家庭の子であれば、『学歴』を記入するのも当然にアリだと思う。

学歴は意外と軽視される。

よく言われるのは『東大卒は使えない』というものだ。

本当か?

東大卒は仕事で使えないのか?

私はそうは思わない。なぜなら、東大に入るのはものすごく勉強に時間をかけている。少なくとも『根性』はあるだろう。

大学受験をした人であれば、つらく、キツかった受験勉強が終わったとき、「やっと終わった」「つらかった」と思ったのと同時に合格した瞬間に「やった!!」と叫ばなかったか?それはそれだけあなたが努力したからだ。

受験勉強を投げ出さなかったことは少なくとももっと評価されてしかるべしだ。少なくとも投げ出した者よりは根性があると言えるだろう。

そんな努力の果てに手に入れた『学歴』という称号を軽視するというのは、はっきり言って論外だと思う。もちろん、学歴だけに拘って他者を見下すような事は学歴の間違った使い方であるのは間違いない。せっかくのあなたの努力の成果を他者へのマウントに使うのは努力の無駄遣いというものだ。

さて、履歴書に学歴による格差を設けるというのは反対という彼女の意見であるが、私とすれば学歴というのは現在の日本では『金で買いづらい』格差と言える。別の言い方をすれば公平な格差を生じさせるものだ。

履歴書に学歴による格差はその人がやった努力の証である以上、どんどん書くべきだ。

もちろん、裕福な家庭であれば勉強のための環境を整えやすいのも事実であるが、それでも『経験』とやらよりも遙かにマシだと私は主張したい。



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By 福川 要

 2021年6月に宮崎県の片隅でひっそりと行政書士事務所を開業中。  主な業務は、許認可関連、遺言状作成です。

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